エモと哀愁、地球の一部

いまはエモいという言葉は、成就できない恋愛とか、どうにもならない恋愛とかに使われることが多いらしい、言い換えれば、切ないと

が、その切ないという意味においてエモく感じるのはおじさんとかおばさんだ、どうにもならない恋愛っていうのは終わりがあるけど、おじさんとかおばさんは、地続きの人生を、気概がなく疲れきっていたとしても歩み続けなければならないのだ、服を着た諸行無常だ、という話を聞いた

怒っているおじさん、おばさん、そうしなければ自分を保てなくて怒らざるを得ないのだ、抑圧されているおじさん、洗脳が溶けてしまったおばさん、たくさんの諸行無常が歩いている、おじさんおばさんにはやさしくありたいねえと思ったね

じゃあわたしは?

いつか歳を重ねて服を着た諸行無常になるのかもしれない、嫌だなあ、夢を見ながら、強迫観念を感じながら、できるだけ先延ばしにしたい

人が傷つき傷つけられて、愛し愛されて生きること、あるいは意味を求めて生きることは、この宇宙の中ではまったく意味のないことになんとなく気付いて生きている、それが完全に実感に変わる前に、地球の一部になる前に、服を着た諸行無常になる前に死にたいな、わたしは

 

おっさんの夢

おっさんの夢