愛嬌の有無で、発出できる言語の量って違うんだな、とか、愛嬌の有無で、行動機会は規定されていくんだろうな、とか、くだらないことが思い浮かんでは消えていくのだけれど、
自分で打ち立てた原理原則以外は応用がきかないと思っているんだから、大人しくいまはやることをやるしかなくて
ただ自分が打ち立てた原理原則に従って生きて、その原理原則に沿わせる形で、息をする、というのがいちばん楽で合理的だなあとかさ、よくわかんないけど
ウーバーイーツは選択肢がたくさんあるから素晴らしいと思う人と、自分は何が食べたいのか考えるのが面倒だから毎日同じものを買っている、という人同士の会話は、途中から言葉じゃなくて記号の投げつけあいになっていく
これから増えていくんだろうな