ふんわり街道

宇宙団『霞』(Music Video) - YouTube

なんだかやれちゃいそうな気がするね

 

宇宙団の新曲『霞』、聴いてくれただろうか?

この間、リリースパーティーをしました。

各方面に感謝しています。ありがとうございます。

 

『霞』をやる前のMCで、もちづきが言っていたこと、原文ママではないことはご容赦いただきたいのだが、

 

「最近、SNSのせいなのかわからないけど、根拠のないこととか理由がない感情に対して不寛容な気がする、自分の感情をなんとなくで言うことがすごく怖い世の中になった」

 

「でも根拠のない自信があって、なんか今日うまくいっちゃいそうだなあ、って時に今までうまくいかなかったことがするするうまくいっちゃう、みたいな、なんとなくの前向き感を肯定したいというか、少しでも明るい気持ちになれる曲を書けたらなあと思って、この曲を書いた」

 

「その理由は?根拠は?ってきかれるとわかんないことはある、でも、理由がわからなくても湧き上がる感情は、ホンモノだと思う」

 

的なことを言っていたと思う。

 

正直、生きていると、とりわけ、仕事なんかにおいては、根拠がものすごくものすごく大事。

なんとなくの感情で選択したことが、なんとなく人、カネ、組織を動かし、結果、それが他人の人生を左右したり、場合によっては、生死に関わったりしてしまうことがあるからだ。

 

仕事をしているとき、あるいは、仕事じゃなくても、何か大事な決め事をするとき、根拠がはっきりしない、あるいは考え方の整理ができていないことに対して、私はふざけんじゃないよ、と思ったりするし、自分がしっかりとした根拠や考え方を持って物事に臨めなかったときは、ひどく落ち込んだり、する。

時には、根拠をつくるために、必死に頭をひねったり、することもある。

 

でもでも、すべてを理詰めで考えていると、突然死にたくなります、普通に!だって!とても!息苦しいでしょ!そんなん!

 

論理の軸と感情の軸が自分の中にはあって、大人になるにつれて、論理の軸が優勢になることが多くなったかも、って思うのだけれど、感情の軸ー好き、きらい、どうでもいい、のxyz軸、嬉しい、ムカつく、悲しい、楽しい、の座標軸に従うことは、自分として生きていくにあたり必須要素だ、感情の軸ってノン加工だから。

論理の軸と感情の軸との境目が、誤魔化しすぎてわからなくなるのは、最悪だ。

あと、なんで好きなんだろうとか、なんできらいなんだろうとか。理由は後付けでいいんです。大体、後付けだし。

感情の理由の究明、時には大事だけれども。

感情に走って失敗することも、あるけれども。

でも失敗っていっても、理由を後付けした結果、失敗って認識しただけだし。既にちょっとゆがんでるんだよね。感情に理由付けが入り混じったときって。

 

つらつらと書いたが、とかく、『霞』を聴いてライターもちづきの言葉を信じてみてください。

 

例えば『霞』で歌われているような朝に、なんだかやれちゃいそう、って思ったら、この直感を信じて、うまく使って、小さくガッツポーズとかもしちゃえば、きっと別のものも見えてくるはず。

 

なんだかやれちゃいそうな気がするね〜

『霞』、末永くよろしくおねおねです。

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