超絶移動系ひゅーまん

ノミは哺乳類の血を吸うものと人間は理解するが、当のノミは、哺乳類だとか血だとかそういったことは認識しておらず、ただ温度や哺乳類が発するにおいを認識するだけだという

人間は1秒に18分割までなら発生した物事を認識できるが、カタツムリは1秒に4分割以上の物事を認識できないから、1秒間に4回以上の速さで動く枝は止まっているものと思い、それにのぼろうとするという

人間はノミやカタツムリになることはできない

 

生物間のスケールを小さくして主軸を微妙にずらして自分に落とし込んでみる

こどもの頃、トンカツを食べて、ただ、ああ、揚げたお肉だ、うまい、と思うだけだったのが、今はこのトンカツになるまでの豚がたどる過程や、衣はどうやってつくるのか、などを知ったうえで食べて、ああ、トンカツだ、うまい、と思う

ただ、ああ、揚げたお肉だ、うまい、と思い食べることはもうない

 

いまの自分は、バンドサウンドをきくとき、チッチッ、はハイハット、タンはスネア、ドンはバスドラ、ドゥンはタム、低い弦はベースで、このギターは歪んでいる、とか認識するけれど、バンドをはじめる以前の自分はそんなこと考えたこともなく、ベースとギターの違いもあんまりわかっていなくて、つまり、はじめる前とはじめた後の自分は、ちょっと違う世界にいる

 

たとえば自分がバンドをやめてタコ漁師になって、バンドサウンドに触れる機会がグンと減ったとしても、バンドをはじめる以前の自分の世界に戻ることはない

朝早く海に出て、今日は大漁だった、家に帰ってふとイヤホンで音楽を聴けば、相変わらず、エイトビート、歪んだギターは右から聴こえて、このメロ、このフレーズ、いいなあとか考えながら聴くタコ漁師になるだけだ、そしてタコ漁師となった自分として、海で何かを知覚してはまた微妙に違う世界へ行き続けるのだ

 

いろんなことを認識し、知覚しては世界間を移動し続け、元いた場所に戻ることはない、行き着く先はどこになるんだろうか、思うのは、自分だけでも同じ世界にとどまって生きていられないのに、他人と一緒に生きていこう、なんていう気になるときなんて、これから、あるのかなあ、ということ