愛情劇場を真顔で見つめることしかできない

人間は太陽はずっとみることができないし夜闇に10秒いると目が慣れてくる、愛から光が連想できるのだとしたら、愛は人間がつくりだした巨大な妄想だということの証拠なんではないか

 

意識的にあるいは無意識に設定した自分の目標を円滑に達成するための道具にすぎないというか、自分の人生劇場をよりよくするためのフックというか、そんなかんじだ、まあ、わたしがそういう使い方をしているだけかもしれない

他者との関係においては、自分が登場人物になることが少ないから、まじでヒトが使う愛だ愛だというのがわかんない

自分にとっては愛という言葉がもつ魔力には価値があるけど概念そのものとかそういういうのには価値がない、というか、どっかでなくした

 

そういえば、真っ暗な夜空に星が降っているときに、自分とバンドメンバーみたいだな、と思ったことがあるが、それは、こいつらはわたしにとって光る存在だ、というのはたしかだが、それは愛ゆえだ、というのは違うかんじがする、一体なんなんだろう、と思うけどきっとわかることはないんだろうなあ、こんなやつに知る権利なんてあるはずないでしょう、愛がないやつは何をやってもダメ〜、ということわざはよくできているなと思う